海老澤先生と僕22012年06月02日 22:23



明日6月3日日曜日、札幌コンサートホールKITARAで海老澤先生の奥様である小川京子さんのピアノリサイタルがあり、海老澤先生もステージのプレトークで出演すると聞いた。僕は嬉しくて即チケットを購入、恥ずかしながらきちんと整理もしていなかった24年前当時のスナップを引っ張り出してみたのだ。

オーストリア、ドイツ、北イタリア、チェコスロバキア(当時)をマーラーの足跡を追いかけてまわる。たとえば出展物にマーラーの生家の絵葉書があるとすると、われわれは現在のその場所を訪ねて写真におさめ、図録にその両者を並べて比較するレイアウトを作る。という具合に、出展物を元に海老澤先生が描いた編集プランにしたがって旅は進行した(上の写真はマーラーが避暑に訪れたトーブラッハという地で。「大地の歌」 、交響曲9番、10番を書いたマーラーの建てた夏の作曲小屋と海老澤先生)。


ある晩、やや遅くにザルツブルグに到着。翌朝、僕らは前述のザルツブルグ国際モーツァルテウム財団の総裁、ルドルフ・アンガーミューラー博士から彼の自宅の「大きな朝食」に招かれた。朝っぱらからソーセージにワインにチーズ…その日の午後は仕事にならないくらい、信じられないほどのおもてなしだった。海老澤先生のお伴をさせてもらっていたからとはいえ、信じ難い展開だった。究極の役得だ!


かのモーツァルト研究の総本山の総裁といえば、きっとすんごくえらい人なのだろうけど、大柄できさくなアンガーミューラー博士はエビサワが 来てくれたのが嬉しくてたまらない、という様子で、奥様と共に終始笑顔を絶やさないホストぶりだった。本当にエビサワを愛してやまない、そんな風情が強く印象に残った。と同時に、広告企画屋風情に理解し尽くせる筈のない、海老澤先生の学者としての存在の大きさを垣間みるようで、さらにプレッシャーは高くなった。


この総裁宅に於ける「大きな朝食」以外は、毎朝ホテルで先生の好物ヴイヨン・ミト・アイ(生卵を落としたコンソメスープ)と珈琲で始まる一日の繰り返しにすっかり僕も感化されて、どこへ行っても「ヴイヨン・ミト・アイ!」と「ヴィッテ(エクスキューズミー)」と「ツァーレン(お勘定!)」を連発し続けたロケマネージャー星野だった。
                           (続く)

海老澤先生と僕12012年06月02日 13:45



1988年10月、僕は当時の国立音楽大学総帥にしてモーツァルトの世界的研究家、海老澤敏教授のお供をしてヨーロッパを二週間強、旅した。

当時10年間続いた「生演奏のある展覧会『サントリー音楽文化展』」シリーズの、僕はスタッフの一員だった。89年春に約2ヶ月に渡って開催されるマーラー展の図録(上写真)やミュージアムグッズ制作のための写真撮影で、カメラマンはサントリー宣伝部制作課で、かの開高健さん、山口瞳さんらの紀行に同行しシャッターを切った巨匠、福井鉄也さんだ。

海老澤教授(は総合監修)、福井カメラマン(スタッフとはいえクライアント!)共に当時五十代後半の脂の乗り切った御大であり、僕は20代最後の年の若造だった。初めての海外出張であり、僕のプレッシャーたるやいかばかりかご想像いただきたい!


海老澤先生の凄さを分かりやすく説明すると、オーストリアのザルツブルグに国際モーツァルテウム財団というモーツァルト研究の総本山があり、世界中のモーツァルト研究家の中から、これは、という人だけがメンバーとして迎えられるのだけど、海老澤先生は全世界で20数名しかいないメンバーの一人に選出されているお方なのだ! 嗚呼、思い出すだけで胃が痛くなる。

現地在住の日本人に通訳と運転をお願いして、ウィーンから旅はスタートしたのだけれど、日本から同じ目的地(ウィーン)に向かうのに、先生はファーストクラス、福井さんはビジネスクラス、僕は…もちろんエコノミーでした。(続く)



ソムリエという仕事。2005年11月30日 23:59

詳しくはないのだけれど、
ワインが好きで、ソムリエってどういう職業かとずっと思っていた。

10年近く前、そんな想いが溢れて、ソムリエ探訪の雑誌企画を立てた。
取材を申し入れたホテルのソムリエに無理を言って、実際に彼がサーブするレストランの席にカメラを入れさせてもらった。幸運なことにというか、その晩なんと、かのロマネコンティの栓が抜かれた。

その時のページのタイトルは「ワインのある食卓のエンタテイナー」。
彼らにワインの知識があるというのは最低限のことで、料理との相性を考え、その出逢いのタイミングをはかり、ときにさりげなくウンチクを披露し、さらにワインという領域を越えた食卓を豊かにする会話の妙まで、食事の始まりから終わりまでを華麗に演出するプロフェッショナルのことだと理解した。それでいて出過ぎない、潤滑油のような存在。人間性そのものが問われるような、奥の深い仕事なのだ。



東京で広告の仕事をしていた時の後輩が、さる大手代理店で立派な営業部長さんになっていて、そんなご縁でJALさんのホームページのお手伝いをさせてもらうことになった。スキーツアーで札幌を訪れた人たちに、札幌のおいしい店やちょっと気の利いたお土産をご紹介する企画だ。

その仕事で先ほど久しぶりにソムリエさんを取材させてもらった。
「おたるワイン」で全国的にも知られた北海道ワイン株式会社に勤務するシニアソムリエである。昨年30周年を迎えた同社が、満を持して発表した新ブランド、フラッグシップと呼べる本格派ワインについてお聞きし、スタジオでソムリエの装束に身を包んだ彼の若き勇姿を撮影した。

かっこいい。

その取材の詳細は、JALさんのホームページの年明け公開分でご覧ください。私の手がけたページそのものは、明日からスタートします。
またご案内しましょう。


撮影担当は、長年僕が全幅の信頼を寄せている本田匡カメラマン。このスナップは、被写体のソムリエ氏を撮る前に、構図や照明が決まるまでの代役(所謂「スタンドイン」)を務めるワタシで、ご本人ではありませんのであしからず(本田写真事務所のスタジオで)。プロにカッコ良く撮ってもらった嬉しさに、本来はあり得ないのですが、無理矢理お願いして1枚いただきました。