憂国とまぐろの日。2005年11月25日 22:46

昭和45年11月26日の読売新聞の第一面はショッキングだった。

まだ僕は11歳だったから小学校5年生くらいだけど、
かなり鮮明に覚えている。
前日、市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自決した三島由紀夫の、
仲間によって介錯された頭部の写真が掲載されたのだ。

たまたまウチが読売だっただけで、
他紙がどうだったのかは知らないのだけれど、
いずれにせよ、その是非をめぐっては、
相当な物議をかもしていたような気がする。

僕が当時すんでいた横浜の団地の、
一つ下の階の家のご主人が、
美術関係? か何かの仕事をしていて、
(近所で一番早くカラーテレビを導入していた家だ。
 子供たちを集めてディズニーか何かを見せていた記憶がある)
自決の数日前に三島と打ち合わせをしたばかりなのに…
と話していた。

それから後、ようやく僕は三島を読むようになるのだけれど、
自分が産湯をつかっていた時の情景を覚えている、
なんていう描写が登場する、
他の作家とはまったく異質な印象の作風だった。
多くの人は彼を天才と読んでいたけれど。

彼がそういう評価の作家だと知って以降に、
彼に関して書かれたものの中で最も印象的だったのは、
確か山口瞳さんの文章だったと思う。

山口さんが一杯やっていた寿司屋に三島が登場する。
カウンターに一人座った三島は、
まぐろのトロが好物らしく、
何度も何度もトロばかり注文していたらしい。
何しろとにかくトロばかりなのだ。
これを見て山口さんは憤慨する。
寿司屋にとって一番肝心なネタはトロである。
そのトロばかりを注文して、結果食べ尽くしてしまえば、
寿司屋はその日店じまいするしかない。
そんなことすら気にかけずトロばかり注文する彼の様子を、
天才作家の無邪気な一面ととらえるのは好意的すぎるのであって、
挫折を知らずに生きてきた三島、
東大、大蔵省とすすんだエリート人間である三島は、
知性と教養に溢れた天才肌と謳われていたが、
意外に市井の至極常識的なことを知らない人間であったのではないか、と。

だから、僕は11月25日になると、
まぐろのトロが食べたくなる。
それも節度をもって食べなくてはならない。