もろはくにて。2005年12月29日 03:51



「もろはく」は、
12年前の開店時に取材させてもらった日本酒のショットバーだ。

記事を書いたのは2回ほど、それから何回かは客として足を運んだ。
きちんと調べたことはないが、
日本酒や酒蔵についての一般的な理解が広まったとはいえ、
日本酒専門のショットバーが現在でもそうたくさんあるとは思えないし、
12年前なら全国的にも相当に珍しい存在だったはずだ。

移転して9年経つというのに移転後初めてお邪魔したのだから、
随分とご無沙汰してしまった。

「声を聞いてすぐ分かりましたよ、ホシノさんって」
と浜口 恭行オーナー。

常連には遠く及ばなかったので、覚えていてもらえるなんて、
まったく考えていなかった。
「当時あんな記事を書いてもらったからこそ今があるんですよ」

その「今」はまさに繁盛店そのもので、
40名ほど収容できる店内の混雑度合いはもちろん、
客層の広さを見るにつけても、
こちらまで誇らしい気分になってくるほどだった。

知る人ぞ知る長野県松本市の酒蔵「大信州」に作らせている、
プライベートブランド一杯で退散するつもりだったが、
遅れて出てきた突き出しがワインのオードブルのように美しく、
おいしそうだったので、もう一杯お薦めの芳水をいただいた。


「もろはく」も、JAL SKI 2006 「北海道を味わいつくす」に、
新年登場(文字情報だけですが)の予定です。

お江戸の芸と永さんと(前編)。2005年12月04日 01:14

ブームと言われているからだけではなく、最近落語が気になっている。
北海道に惚れ込んで移り住んだものの、ときどき無性に江戸的なるものが恋しくなる自分としては、蕎麦なんかと同等の、文化への慕情みたいなものかもしれない。北海道でも頑張って落語を紹介しようとする動きがあるようだが、いかんせん集客もきびしいらしい。

この3月頃、僕も自分なりに北海道に落語を持ってくるようなことができないかと考えていた。
そして思い当たった。
「俺、噺家さん知ってるじゃないか!」
東京時代に仕事で何度かご一緒していた古今亭八朝師匠だ。

八朝さんは、名人として名高い5代目古今亭志ん生(享年83)の二男・古今亭志ん朝師匠(2001年10月1日没。享年63歳)のお弟子さん。その優れた企画力から、古今亭一門の頭脳と呼ばれている。

思い立ったら何とやら、最後にお逢いしたのはかれこれ15年くらい前なので、現在の連絡先が分からない。で、落語協会にメールをしてみたら、数日後に協会からメール、その数日後にご本人から電話がかかった。

「なんだよ、どこかいなくなっちゃったと思ってたら、北海道にいたの? え、当たり前だよ、覚えてるよ、あんたには何度も世話にになったもの。俺たちを北海道に呼んでよ、門戸開いてよ。あ、そうだ、ホシノさんに見せたいモノがあるんだ、東京来ない?」

そこからはトントン拍子だった。
八朝師匠がどうしても僕に見せたいと言ってくれたのは、芸者衆の粋なお座敷芸として発祥、志ん朝師匠が生前懸命に保存しようとしていた女性芸人さんばかりでやる「木遣り」。志ん朝師匠の意思を継ぐ形で、永六輔さんのサポートによって旗揚げとあい成った「大江戸小粋組」公演だった。

八朝師匠のご手配によって、発売、即完売となった3月29日の国立演芸場の席に僕は座っていた。司会進行は「しゃべるめくり」として永六輔さん。凄かった。ふるえた。かっこ良かった。芸人衆も、永さんも。

それから7ヶ月強。
11月9日に「大江戸小粋組」の第二回公演が、さらに11月14日には、八朝師匠の落語会に永六輔さんがゲスト出演すると聞いてまた胸が騒いだ。
かつての「六八九トリオ」(作詞家・永六輔、作曲家・中村八大、歌手・坂本九)をもじって「ひさびさの六八コンビ!」という謳い文句だ。いてもたってもいられなく、僕は再び東京へ。

実は、僕は少年時代から、永六輔に魅了され続けているのだった。

(以下、次号)