『見送り _ 別れのテーマ』2012年05月27日 02:25


映画『おくりびと』は2008年9月に公開された。公開当初から非常に観たいと思っていた作品だった。一方で、次第に母の容態が悪い方に傾いてゆく現実があったので、なかなか劇場に足を運ぶ気になれない自分もいた。

そうこうしているうちに2009年2月、『おくりびと』は米国アカデミー賞の最優秀外国語映画を獲得した。やっぱり凄い映画だったんだなあと思いも新たにしたちょうど二ヶ月後に母が息を引き取った。

この八月で父の二十三回忌を迎えるので、2007年の11月に小樽の施設に搬送するまで、母は横濱横須賀で二十年以上一人暮らしをしていたことになる。横須賀の病院からそのまま小樽のグループホームに入所したので、母は小樽にはたったひとりの知り合いもいなかった。見送る人がいないのだからと、自宅でささやかな葬儀を開いた。

拙宅の和室には、最後の母の住処となった横須賀のマンションからの荷物がそのときもまだ満載で、グループホームから戻った母を仕方なくリビングに敷いた布団に寝かせた。今どきのセレモニー斎場ではなく、地元で「典礼さん」と呼ばれる小樽典礼を紹介してもらった。母を納棺するために着替えさせた典礼さんの手際が素晴らしく、その方とまだ観ていない『おくりびと』の話題になった。

母親が亡くなった朝のことなので正確ではないかもしれないが、記憶に間違いがなければその方は、あの映画は東北が舞台になっていたけれど、あの納棺師のモデルは自分たちに近しい人間であり、自分の作法もその方の流れを汲むものだ、と言うようなことをおっしゃっていたと思う。


さっき初めてスカパーで『おくりびと』を観た。
本木雅弘の所作は素晴らしく、こんなに立派な俳優だったかと感心したけれど、それはまさに私の母を納棺したあの方の手際そのものだった。

葬儀に限らず、見送る、とはなんて哀しい作業だろう。見送って見送って最後にまた自分だけが残る。昔、そんな曲を書いたことがあったっけ。けれども『おくりびと』の本木雅弘は、三十数年前に自分を捨て、その面影すら定かではなかった父親を自ら送る(納棺する)ことで、もう一度自分の中に父親を蘇らせることが出来た(そういうラストだと僕は解釈した)。


どうしても拙宅で花を咲かせなかった苗木から育てた藤が、この七月で小樽移住二十年になる今春、まさに今、初めて開花しつつある。母は旧姓を藤尾といい、書家としての最後の雅号を藤閣といった。漱石の虞美人草のヒロイン藤尾と藤の花をこよなく愛していた。うまくいえないけれど、2008年でも2009年でもなく、今頃になって初めて『おくりびと』を観たことは、結果良かったのだろうと思った。

昨年三回忌も済ませたというのに、ようやく少しおだやかに母を送ることができるような気がする。