ホテルドローム。2005年11月29日 23:18

今僕が北海道に住んでいるきっかけのひとつは、
藤門弘さんの存在かもしれない。
知る人ぞ知る、アリスファームのオーナー。夫人は宇土巻子さん。
1974年に岐阜県・有巣の里で「田園生活」を提唱し、家具工房、染織工房、農業などを営む「アリス・ファーム」を設立。10年後、新天地を求め北海道仁木町に移住。
外遊びの強者であり、すごい仲間がたくさんいて、自らの体験を本に書く男。

一方、話は変わるが、10年前のオープンから一度は泊まってみたかった赤井川村のホテル、ドローム。
鉱山の跡地の百万坪の敷地。まわりには白樺の林にヤマメが泳ぐ白井川。そこに鉱山時代の古材と石で造った山小屋風の建物。館内には北欧の古い農具や家具。部屋数11の小さな宿。
風の色でも何度かロケで使わせてもらっていた。

昨年末、藤本美貴さんの写真集の撮影場所にドロームの暖炉を提案しようとしたのだが、営業が停止されていた。やがて、風の色の若頭・宮嶋総士のリサーチで、ドロームの所有者が藤門さんに変わっていたことが判明。僕の2つのあこがれがひとつに合体したのだ!

かくして今年2月15日からドロームは営業再開。
藤本ミキティの撮影も無事終了。僕は現場に行けなかったのだが、
藤門さんは終始撮影にお付き合いくださったと聞いていた。

写真集が東京の出版社から送られてきて、ソーシがそれを藤門さんに届けるという。僕は「お願い、連れて行って!」と懇願した。

3月12日、広大な敷地の赤井川村側にあるアリスファーム本部、藤門さんのご自宅をソーシと共に訪ねた。自ら広い広いご自宅を案内をしていただいただけでも舞い上がっていたのに、その後で目がつぶれそうな幸運に遭遇した。しばらく休止していたが今年から再開するという、アリスファーム恒例の「クロカンスキー大会」のお誘いを受けたのだ。その名前からすると体育会系の催しの様だが、要は前夜祭と称した宴こそがメインイベントであるらしい。
顧客とうちうちのお仲間だけに声をかけるということだが、今年の参加者を伺って三たび仰天! 一般の方に混ざって、カヌーイスト・野田知祐、モンベル社長・辰野勇、作家・夢枕獏…。

野田知祐さんの著書は、僕の北海道行きを激しく後押しした。
一度、番組撮影でいらしていた野田さんと、清流・歴舟川を一緒に(といっても、もちろんほかに大勢いたのだが)カヌーで下り、酒を飲みながら話をしたことがある。このときも、今は絶滅した「男臭い男」に雷鳴に打たれたようになり、僕はコチコチに緊張した。素敵だった。



3月26日の晩、ホテルドロームで宇土巻子さんの手による、地元の食材を使った感動的にうまい料理をいただきながら、野田さんや辰野さんや夢枕さんと同じ酒を飲んでいた。まさにドローム(夢)のようだった。

今日のドロームはそれ以来だった。
撮影の合間を縫って、久しぶりにお逢いした藤門さんに、8月に行った内モンゴルの話などをした。藤門さんは、かつて40日かけて外モンゴルの川をカヌーで下ったときのことを教えてくれた。

僕は調子に乗って、かつて東京の広告代理店にいた時分に携わっていたTBSのドキュメンタリー番組のプロデューサーから言われたことを話した。僕がその会社を離れて北海道小樽に移り住むことを告げた時のこと。
そのプロデューサーは小樽出身で、小樽に行くのなら、近くの仁木(余市と言ったかもしれない)という町に藤門弘という男がいるから、自分から聞いたと言って訪ねたらいい。面白くて凄い奴だから、何か力になってくれるかもしれない、と。

当時の僕に、それを実践する勇気はなかった。
あんなに憧れていたのに。
今日は、そのことも藤門さんご本人にお話しした。

あの時、まだ、なにを生業にするかも決まっていないのに、
ただ小樽に住むことだけを決めてしまった時、
もしも言われた通り藤門さんを訪ねていたら、
その後の流れは変わっていたかな。

とにかく、それから13年経って、
僕はようやく藤門さんに逢うことができた。

(写真は夏のドローム。今はすでに雪に埋もれている)

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