「はなぎん」を歩く。2013年03月14日 23:24



小樽花園銀座商店街の活性化のお手伝いで、加盟店の方と一緒に一軒一軒インタビューして歩いている。

全国の商店街の現状のご多分に漏れず、人通りが減少し、建物は老朽化、後継者不在等々、行く末は決して平易な道のりではない。

けれどもこの商店街には三代目、四代目の跡取りが肩を並べ、創業百年を越える店もざらであることをご存知だろうか。ワイン屋さん、喫茶店、呉服屋さん、本屋さん、婦人靴専門店、金物屋さん、美容室、額縁屋さん、カメラ屋さん、毛皮屋さん、飴玉屋さん、洋菓子屋さん、印鑑屋さん、そしてたくさんの飲食店…。半月ばかりの間にそれだけの業態を旅した。まだまだある。背後には花園のネオン街。


短い通りに喫茶店が三軒、呉服屋が二軒(少し前までは三軒)、額縁屋が二軒とかなり異色な顔ぶれでもある。

それぞれに商店街の施設や活動の現状への厳しいご意見を持っている。
しかしながら、これまでもしてきたような通り一遍のアンケートでそれらを吸い上げるのではなく、それなりの時間を費やして膝を突き合わせてみると、知っていたようで知らないお隣りやご近所のご商売の詳細やその変遷が、店の数だけ人生があるという当たり前のことが、いずれも感動的で思わず引き込まれる。


取材に応えてくれる店主のみなさんも、連綿と続いて来たご商売の本質に話が至ると、わが意を得たりと一様に目は輝き出し、自負に満ちた口調で語り始める。

そうなんだ。まずはお互いを知ること。そこに感動を見出すこと。
そうすれば、実感と自信を持って向こう三軒両隣の同志を自分のお客様に紹介することが出来る。まずはそこから。

知らなさすぎた目の前の宝物について、知ることから始める、ということ。


東京からの便り。2013年03月18日 22:40



東京の開花と時を同じくして、東京の大学からの長い女ともだちから失恋の便りが届いた。先週誕生日を迎えたばかりの、ふたつ年下の、でも同級生である。
人の声を聴いた途端に受話器の向こうで声を潤ませやがって、ゴメンとか、声が聴きたかったとか、ありがとうとか、千々に乱れている。

その昔、彼女の結婚式の前夜、明日は新婦となるはずの彼女から電話がかかって来て、「明日はダスティン・ホフマンになってね」と言われた。もちろん映画「卒業」のベンのことを言っているのであって、さしづめ自分はエレンの役どころという意味だったんだろう。

翌日の神田教会のバージンロードで大勢の親族友人たちが見守る中、僕たちは人知れず目を見合わせてニヤリとしたけれど、僕は別段暴れたりしなかったので、エレンは映画の結末とは裏腹に無事嫁に行った。ただ彼女はその結婚にも次の結婚にも破れ、現在は立派に悪女に成長した娘と二人暮らしをしているらしい。

亡くなった大塚博堂さんに名曲「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」というのがあった。一応お断りしておくと、僕たちはお付き合いしたこともないし、だから僕は「なれなかった」訳ではない。そうした言葉遊びを理解し合える意味においては男女を超えた仲良しだったかもしれないけれど。昨年東京で二十数年ぶりに会った時、彼女の現在進行形の道ならぬ恋を聞いてはいたけどね。


なので僕は、想像を超えた彼女の悲しみぶりを、特段慰める訳でもなく黙って聞いていた。
ふと、昨年の四月六日に、彼女をよく知っているテラオやタケさんと一緒に眺めた足立区の舎人公園の櫻が浮かび、あのときの花火がふたたび僕の中で打ち上がった。

今年の四月六日も舎人公園で櫻と花火の催しがあるけれど、東京の櫻はそれまで持たないだろう。
でも多分その日に僕は彼らと酒を飲み、おそらく僕は彼女のことは話さないと思う。

彼女の嘆きがひとしきり収まった頃、四月六日まで東京の櫻を持たせて欲しい。と僕は頼んだ。